皆さんは、「もったいない」という言葉を聞いて、どんなことをイメージするでしょうか。
大量の食べ物が廃棄されてもったいないとか、能力を十分に発揮出来なくてもったいないとか、時代劇で「拙者には、もったいないお言葉」とか私は聞いた覚えがあります。
辞書には
1.『有用なのにそのままにしておいたり、むだにしてしまったりするのが惜しい』
2.『身に過ぎておそれ多い。かたじけない』
3.『不都合である。ふとどきである。もってのほかである。』
と載っています。
3はあまり聞いたことがないような。
私は、「もったいない」という言葉をよく使っているので、ふと語源を知りたくなって、調べてみました。
(と言うか、「もったいない」好きか、ただのどけち?)
今回は、そんな「もったいない」を調べてみて、自分の宗教観まで考えたことを備忘録としてまとめてみました。
世界のMOTTAINAI
実は、もったいないは世界にも広がっていまして、MOTTAINAIとして知られています。
それは、ワンガリ・マータイさんと言うケニア出身の環境保護活動家で、ノーベル平和賞を受賞したこともある人物が、MOTTAINAIとして広めました。
彼女は、
「もったいない」のように、自然や物に対する敬意、愛などの意思(リスペクト)が込められているような言葉が他に見つからなかった
と言っています。
日本では環境配慮の言葉として3Rが有名で、それぞれReduce(消費削減)、Reuse(再使用)、Recycle(再生利用)と言うのは聞いたことがあるかと思います。
ワンガリ・マータイさんは、そこにRespect(尊敬)も入れて、4Rを提唱しています。
(通常4Rと言うと、3RにRefuse(断る)を加えたものを指します)
リスペクトと聞くと、何だかカッコよく聞こえます。
辞書にもそれらしい言葉は載っていませんでしたし、日本人には無かった「もったいない」という言葉へのイメージなのかもしれません。
勿体無いとは
しかし、「もったいない」の語源を調べると、先のリスペクトに通じるものが分かりました。
もったいないとは漢字で「勿体無い」と書き、仏教用語のようです。
読み替えると、「体(てい)を無にすること勿れ(なかれ)」と読めるそうで、ここで言う体とは仏性のことを指し、仏性とは仏になる可能性のことを言います。
仏性という意味を知るのに、一つ仏教用語を紹介します。
『山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)』
という言葉です。
山にも川にも草にも木にも、全てに仏に至る可能性を秘めているということを表しています。
つまり、自然にも全てのことが仏に至る可能性を持っているのだから無駄になさるな、ということだと解釈できます。
全てのものに仏に通じる道があるのですね。
ですので、自然に対してリスペクトが必要なのです。
ようやく繋がりました!
自然に対する敬意と愛を表している勿体無い。
そして環境保護活動の標語としてのMOTTAINAI。
私もこの活動に生涯を通して参加していきたいと思います。
(リサイクルショップが好きなので、既に参加しているかも)
生まれた時からキリスト教徒
さて、テーマ的にはここで終わっても良かったのですが、今回は更に海外での個人的な体験を元に宗教についても考えてみました。
海外で住んだ経験から、生まれた時からキリスト教徒の方達と一緒に過ごすことがありました。
と言うのも、両親がキリスト教徒なら自然と子供もキリスト教徒になることが多いからです。
子供だけ、両親とは違う宗教であったり、無宗教であったりすることは聞いたことがありませんでした。
そこで思ったことは、キリスト教を自分の宗教として選択してきたのかと疑問に思ったのです。
友人たちに聞いてきても、「いや~何となく」だったり、特に考えたこともなかったような反応でした。
自分でその宗教を選択した訳ではないんだろうな~
ちょっとネガティブな印象ですが、どうしてかと言うと。
人は選択肢が多すぎると苦しくなりますが、自分の生き方の根幹となる考え方・価値観を自分で選んでなかったとしたら、その人生は誰の手によって動かされているのだろうかと考えてしまうからです。
生まれた時から仏教徒
しかし、今回「もったいない」について調べてみたら、元々は仏教用語であり、その思想が反映された言葉なのだと知りました。
もしかして、自分も彼らと同じような感覚なのかもしれない。
私自身も、気づくことなく仏教徒(神道でもあったり)というか、その色に染まった考え方をしていたかもしれないと気づきました。
染まったなどと書くと悪いようですが、別に宗教が悪いことではありません。
しかし、何だか知らぬ間にその考えが入り込んでいたと考えると、自身の何たるかが揺らがされるようで、その事実を受け入れがたいことのようです(ちょっと自身を客観視)。
日本のイベント・行事と言えば、仏教・神道・キリスト教が混ざり合ったものが多いことで知られています。
仏教式のお彼岸やお葬式、神社での初詣や神頼み、クリスマスやチャペルでの結婚式。
あまり意識していませんが、色々とありませすね。
それ以上に、普段使う日本語の中にも宗教の影響を受けた言葉があり、その思想が私たちにも影響しているということを改めて考えさせられました。
まとめ
海外でよく質問される1つに、「あなたは何教か、何を信じるか」というのがあります。
私たち多くの日本人は無宗教なのでしょうか。
それとも。。。
ふと、「人の振り見て我が振り直せ」という言葉が浮かんできました。
これは海外に出て気づかされた日本人という私、の1つでした。
さて、以上が『もったいない』から考えてみた日本人の宗教観、と言うか自分の宗教についてでした。
あなたは海外で聞かれたら何と答えますか?
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