前回の記事では、自己受容とはどのようなものかを考えてみました。
今回の記事では、その自己受容を促進するプロセスについて、心理学を参照しながら考えてみたいと思います。
自己受容とは、ありのままの自己を受け容れることであり、自己の様々な側面に対し、客観的に距離を置いて見ることができるが、自己を全体として暖かく受け止めようとする姿勢や態度だと考えられているとのことでした。
さて、上記を達成するには、具体的にはどのようなことが必要なのでしょうか。
心理学のいくつかの理論を元に、考えていきたいと思います。
交流分析を元に自己受容について考える
まずは交流分析を元に自己受容について考えてみたいと思います。
交流分析とは、精神分析の口語版と言われるように精神分析を元にした心理学の分かりやすい理論が特徴です。
以下の2つを紹介したいと思います。
- OK牧場
- ストッパーやドライバー
それでは見ていきましょう。
OK牧場
交流分析で言われている理論の1つにOK牧場というものがあります。
(OK牧場と聞いて、ガッツ石松を思い浮かべる人もいたりして?!)
OK牧場は、自分と他人に対する態度がOKかnot OKかという考え方に基づき、下の表のように4つの態度に分けて考えています。
I’m not OK, You’re OK | I’m OK, You’re OK |
I’m not OK, You’re not OK | I’m OK, You’re not OK |
4つの場所を牧場に見立てて、牛のように色々と歩き彷徨いながらも、できるだけ自分も他人もOKという態度の場所に長く居られるようになることを目指しています。
人はその時々の経験によって、自他への態度が変容するものですので、それを自覚しながらも自分にも他人にもOKを出せるようになることを思い出させてくれます。
OKを出すとは、自己受容である、『あるがままを受け容れる』と似ている概念であり、自分の存在を暖かく受け止めようとすることに近いと思います。
ちなみに、自己受容と他者受容は密接に関連しているようで、互いに影響し合っています。
しかし、考えれば普通なもので、自分が許せないことは、相手のことも許せないのは想像に難くないですよね。
ストッパーやドライバー
さて、交流分析からもう一つの理論を紹介したいと思います。
それは、ストッパーとドライバーという考え方です。
ストッパーは、自分の行動や態度を否定するような考え方で、『~するな』という表現になります。
例えば、
- 子供であるな
- 存在するな
- 成長するな
- 感情を感じるな
- 健康であるな
- 重要であるな
などなど。
逆にドライバーとは、自分を急かすような『~しろ』『~であれ』というような考え方です。
例えば、
- 完璧であれ
- 急げ
- 他人を喜ばせろ
- 強くあれ
- もっと努力せよ
など。
このようなストッパーやドライバーは、今までの人生で(主には幼少期に)手に入れてきた考え方や態度で、今の人生に大きな影響を与えています。
このような考え方を無自覚に持っていたとすると、自己受容って難しいですよね。
ですので、まずは自分が持っているストッパーやドライバーを知ることから始めます。
そして、それらを少しずつ緩めていく・許していくことが自己受容に繋がっていきます。
認知行動療法を元に自己受容について考える
続いて、認知行動療法を元に自己受容について考えてみます。
ここでも2つ紹介したいと思います。
- リフレーミング
- 脱フュージョンとアクセプタンス
それでは、それぞれ見ていきましょう
リフレーミング
リフレーミングとは、今までの考え方の枠組みを再構築することを指します。
ごく簡単に言ってしまえば、今までとは別の見方をするということです。
例えば、
- せっかち → 物事をスパスパと進められる
- 人見知り → 控え目で慎重
- 飽き性 → 色々なことに興味が持てる
これらは分かりやすいのではないでしょうか。
そして、先に挙げたストッパーやドライバーをリフレーミングすることもできます。
もしくは、過去を振り返ることで、それらの考え方も幼少期の自分を守るためには大切なことだったと思えるなら、それもリフレーミングと捉えることもできます。
同じ事柄でも意味づけが多少でも変わったらリフレーミングと言えます。
ここで、前の記事で少し触れた、『自己の良い面悪い面というのは、何を基準に判断したのか』という点を考えてみたいと思います。
リフレーミングという考えを知った今、良い面悪い面というのは、なんと不安定な土台の上にある考えなのかということが分かりました。
見方を変えれば、良い面も悪い面も、即座に逆になりうるのです。
前にツイッターで呟いたこれです。
先のストッパーやドライバーを自覚した後に、それをリフレーミングすることで自己受容になりますし、I’m OK という態度に近づきます。
脱フュージョンとアクセプタンス
最後に、脱フュージョンとアクセプタンスです。
フュージョンと言えばドラゴンボールを思い出しますが(私だけ?)、今回は脱フュージョンです。
脱フュージョンとは、自己の様々な局面を客観的に観る、ということに似ています。
そもそもフュージョンとは融合するということですが、何と何が融合しているのでしょうか。
それは、思考内容と現実が融合していることを指します。
「私は生きる価値がない」と考えていると、容易にそのような思考の世界に飲み込まれてしまいます。
先のリフレーミングのところで述べたように、現実とは、特に意味などない世界なのです。
何もない世界に自分が意味を与えているに過ぎないのです。
そのフュージョンした現実と思考内容を分けることで、つまり脱フュージョンすることで、ありのままの自分を受け容れるということに近づくかと思います。
例えば、「~と思っているなぁ」と自分の思考を眺めることで脱フュージョンを助けることができます。
マインドフルネス瞑想などは、それに当てはまります。
そして、良い面悪い面と感じている・考えていることをアクセプタンスするのです。
特に自分の悪い面として考えていることを、『考えが浮かんできたなぁ』と客観的にただ眺めてみる。
その時の気持ちも、『沸いてきたなぁ』と感じるだけで、判断しない。
このようなエクササイズを重ねることで、そもそも良い悪いという思考から距離を取れて、ありのままの自己というところに戻ってこられるはずです。
まとめ
今回は、自己受容について、心理学の中でも交流分析と認知行動療法を取り上げて考えてきました。
自分に対する自分の考え方を知って、それをどうするか。
リフレーミングするのか、それを脱フュージョンして、ただ眺めるのか。
そもそも自己って何なんでしょうね。
いつかそんな記事も書いてみたいと思います。
参考図書として、こちらを挙げておきます。
専門書に比べて分かりやすい言葉で書いてあるので、一般の方にも読んでいただける内容かと思います。
皆さんの自己受容が深まり、生きやすくなることを祈っています。
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