顔に障害があったり、見た目にコンプレックスがある。違いを乗り越えるためにどうする?

Live-生き方
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今回は、外見に障害や症状がある人について書かれた、『この顔と生きるということ』を読んで感じたことをブログにしてみたいと思います。

外見に障害や症状がある人について書かれた本「この顔と生きるということ」の表紙

恐らく、この本の表紙が目に入った人は、じっと見てしまったのではないでしょうか。

しかし、その反応は自然なことだと私は思います。

それは、いつも見慣れている顔や身体と、違いを感じたからであり、その違いに自然と目が行くという仕組みだと私は考えるからです。

昔から人は環境や人の色々な違いに敏感にできていて、それに気づくことで自分や集団を守って生き延びてきたのだと私は思います。

その仕組みが今も残っていて、特に人の顔の情報は豊富であり、いつもとの差を敏感に察知しているのだと思います。

さて、そんな自然な反応ですが、当事者からすると気持ちいいものではないと思います。

それは想像に難くありません。

誰しも、変な目で見られたり、奇異の目で見られていると感じていれば、気持ちいいはずがないからです。

人間社会では、そうした人を傷つけうる反応をコントロールすることが求められていて、かつ可能なことだと思います。

ですので、次の3つが実現できるといいと思いました。

1.違いを元に傷つけ合うのではなくて、違いが当たり前な社会になって欲しい

2.そのためには当事者を知ることが大事

3.全ての人が当事者になりうるし、かつ当事者を傷つける側に回ることもあると思うので、他人事ではなく自分事として考えて欲しい

(この辺りの理由は後述します。)

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本『この顔と生きるということ』の内容

さて、先に本の内容を少し紹介したいと思います。

この本では、朝日新聞記者である筆者の息子さんが顔に障害を持って生まれてきたことをきっかけに、同じような外見に症状や障害を持つ方にインタビューをして、その方々の体験や考えを紹介しています。

本の中で、ほとんどの方がいじめや差別に会ってきたことを語っています。

また、恋愛や結婚、そして就職の際に不利であったことも語られています。

その中での苦しみや怒りや自己否定などを想像すると、読んでいるこちらも苦しくなってきました。

思春期では、誰しもが外見を気にしたり、他の人との違いに目がいきます。

外見に何か無くても悩む時期なのに、それが明らかに人との違いが分かる状況だとしたら、余計に悩むに違いありません。

しかし、その後、逆境を乗り越える場面なども語られており、「私にはできない…」と素直に尊敬してしまう場面もありました。

具体的な内容は、ぜひ本書を手に取って読んでみてください。

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本を読んで、自分の体験を振り返って

さて、先に『私としては、全ての人が当事者になりうるし、かつ当事者を傷つける側に回ることもあると思います』と書きましたが、その理由を書いていこうと思います。

これは個人的なことですが、2点あります。

海外での少数派体験と差別

他の記事でも書きましたが、私が海外にいた時に、外見上の差別を受けました。

差別というと大袈裟かもしれませんが、バカにされている気分でした。

肌が黄色く目が細いアジア人であることから、道行く人からジロジロ見られたり、わざわざ口に出してからかってきたり、いい気分ではありませんでした。

日本人と言うか中国人と思われていたのだと思います。

中国という名前しか知らないということもあるのでしょうが、日本がどこにある国なのか知らない人もいます。

一部の人には、アジア人=中国人みたいな構図があるようです。

アジア人、日本人の私がマイノリティになるという、日本というアジアの島国に住んでいたら体験できなかったことです。

しかも、あからさまな表現を伴って。

もちろん、全員なんてことはありませんが、結構言われたこともあり、自分が今マイノリティな存在だということが強く印象に残りました。

ハゲ

これも他の記事で書きましたが、私はハゲています。

ハゲは、ダメ、カッコ悪い、バカにされる対象、病気みたいな構図がある日本では、生きづらいところもあります。

顔の形や肌に異常がある訳ではなく、ただ髪が薄いだけ・髪がないだけと考えれば、この本に出てくる人たちの苦労や辛さには足元にも及ばないかもしれません。

しかし、治療の対象とされるくらいなので、一般的な髪の状態とは違いがあるのは確かです。

事実、道を歩いていたり、電車に乗っていたりする時に、人々の視線が気にならないと言ったら嘘になります。

小さな子から「ハゲ」などと言われることも経験したことがあります。

帽子を被って隠したいという日もあります。

けど、そうしたことも乗り越えるために、丸刈りにすることを選びました。

以上の外見上の体験から、先に挙げたように、大なり小なり全ての人が当事者になりうると思いますし、かつ当事者を傷つける側にも回ることだってあると思いました。

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障害とは・違いとは

そもそも障害とは何でしょうか。

色々な見地から障害を定義できると思いますが、1つの見方として、障害=少数派という点が挙げられると思います。

先のハゲの例だと、人類のほとんどがハゲていたらどうでしょう。

逆に髪が生えてきてしまうことが病気と見られるかもしれません。

現に多毛症というのがあります。毛が多すぎるのです。

そうすると、毛が多すぎるが故に、逆に病気と見なされます。

人の視線以外に、生活に大きな支障がない時もあるのですが。

つまり、多くても少なくてもダメで、大多数の人が属する最適な範囲から外れると、障害や病気と見なされると考えることもできます。

そう考えると、その障害や状態の意味が薄れていくように私は感じます。

人が勝手に付けたレッテルに過ぎないと。

だた、上記は障害の1つの見方であり、他にはICF(国際生活機能分類)での「障害」の捉え方などを参考にするといいと思います。

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顔に症状や障害がある方との違いを乗り越えために

外見上の違いによって傷つけ合うことを乗り越えるために、むしろ違いを当たり前と思えるために私たちは何ができるのでしょうか。

具体的な接し方として、そうした外見上の特徴がある人を街で見かけたら、ジロジロ見ない。

しかし、存在を無視しない。

前者は当たり前ですが、後者は勇気がいることかもしれません。

つい、触れないように、話題にしないようにしてしまうことも考えられますが、それは違います。

そうしないためにも、色々な外見の人がいるということを知っていることが大切だと本書では言います。

私も、本当にそう思います。

学校教育の時点で、多くの子供たちに知ってもらいたいことです。

余談ですが、表紙をずっと見続けてきた私は、何だか最初の頃のインパクトは薄れ、どこか慣れてきた感があります。

本書でも、当事者と接していれば顔などの違和感は慣れてくると書いてありますが、私も同じように感じますし、接触回数の問題もあるのかと思いました。

自分の生活範囲に多くの当事者がいて、何回も会っていれば、それだけ早く”違い”が薄れてくるのだと思います。

今まであった自分の中の“見慣れた普通”という軸が、変わってくるのかと思います。

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まとめ

今回はいつもになく長くなってしまったので、この辺にしたいと思います。

・違いが当たり前の世の中になって欲しい

・全ての人は当事者になりうるし、当事者意識を持つ

・違いを知ることが大事

まずは知ることが大事ですので、『この顔と生きるということ』をまだ読んだことがない人は、ぜひ手に取ってみてください。

そして、本書でも紹介されている映画『ワンダー』も一緒に見てみて下さい。

この本を読み終わったばかりだからか、始めの方から涙が…。

顔に障害を持つ主人公の映画「ワンダー 君は太陽(字幕版)」

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こうした情報を知ることによって、多様性・個性が尊重されて、違いが当たり前な社会になることを祈っています。

良かったら、周りの人にも広めてください。

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